命が助かったその先に——“生活を支える”という視点が芽生えた日

手術室看護師

ある日、いつものように出勤した手術室で、一本の連絡が入りました。

「〇〇さんが倒れたって……」

信じられなくて、何度も聞き返してしまった。
手術の準備をしているはずの手が、ぶるぶると震えていたのを、今でも覚えています。

倒れたのは、ずっと一緒に働いてきた上司。
病名を聞いて、まず思ったのは「命は助かるのか」——そしてすぐに、
「もし障害が残ったら、この先の生活はどうなるんだろう」ということでした。

あの辺に住んでいるから、リハビリを受けるならどこがいい?
誰に聞けば一番信頼できる情報が手に入る?
本人が望んでるかどうかも分からないのに、私はひとりで勝手に“支援体制”を考えていました

不思議なことに、「職場でどう支えるか」よりも、
「生活をどう支えるか」の方が気になっていたんです。

看護師として17年。
でもこの時、初めて“生活をまるごと支える存在”の必要性を、痛いほど感じた気がしました。

半年後、上司は驚くほど順調に回復し、無事に職場へ戻ってきてくれました。
障害も最小限で、日常生活にはほとんど支障がない。なんだか映画を見ているような気持ちでした。


ほっとした気持ちと同時に、私は心のどこかで、こう思っていました。

「誰かが生活そのものを見守ってくれる存在が、もっと身近にいればいい」って。

それが、私が「ケアマネ」という選択肢に出会うきっかけになったのです。

実はその頃、訪問看護や移植コーディネーターという道も考えていました。
「支える」とはどういうことなのか——迷いながら選んだ、もうひとつの選択肢の話を、次回書いてみようと思います。

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